流れゆく水をそっと両手ですくうと、いつも生活で使っている水道水とはまったく違う冷たさに驚く。
この冷たい感覚と、指のいっぽんいっぽんの間を、通りぬけるやわらかい流れは、ここちよい風と合間って、穏やかな気持ちにしてくれる。
それは、懐かしき思い出を川面に吹き渡る風といっしょに運んでくれた。
小学生の頃、子供の腰丈まである水に、近所のお兄ちゃん達とそぉーと網を持って入り、魚とりの開始だ。
子供ながら魚に気付かれない様に、川の両岸に生えている草の下をざっくりとさらうと、メダカが数匹取れるだけなのに楽しい。
ハエやドロクラ(子供の頃地方で言っていた名)の様な大きな魚を取れるまで、網で何度も挑戦だ。
おかげで真夏なのに、体の芯まで清涼感をあじわうはめになってしまった。また岩の多い川遊びも楽しい。水にいつも浸かっている石は、流れによりすべて角がとれ、丸みのあるものばかりで、ぬめりのあるものばかりだ。
このたっぷりと川のにおいがする石を、静かに持ち上げると、決まってカニが隠れていた。おまけにタニシもいっぱい石についていて、持ってきたバケツには川の生きもので、ところ狭しとガサガサとうごいていた。
たくさん遊んだ。3時のおやつは、決まって川で良く冷えたおばあちゃんが育てた、スイカだった。バケツの中の生きものたちを、おばあちゃんと眺め、楽しき川での出来事を話しつづける自分に、おばあちゃんは笑顔で耳を傾けてくれていた。
楽しき夏の思い出、自然がくれた豊かさが、大人になった今でも、あざやかにこころの中に残っているのは、人間が造る事のできない大きな力があるからだろうか。